my favorite jazz cd

you and the night and the music

深夜のJazz親爺

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最近は常に、一杯飲みながらの夕食後、CD、Blue Rayをみながら飲み続けるが途中でうつらうつら、
一度ベッドにもぐりこむが12時前後に眼が覚めまた飲み始める。

床に散乱したアルバムや部屋の周囲においた棚を眺め、頭の中に流れてきた音を探し求める。

日野皓正のこのころのアルバムはどれも、何度聴いてもいい。
特に益田幹夫が加入していたころ、これが最高だ。

最近のジャズより、新しさでは進んでいるんではないかな。

このころの演奏のほうが、日本のジャズは進んでいたし、迫力があった、熱く燃えていた。

おしゃれ、格好いい、あ、そんなの関係ねえ、とは古い台詞。


これも、個人的に70年代の思い出がいっぱい詰まっているせいか。

新宿タローの最前列で目の前に浴びたヒノテルのラッパの熱い大音量、忘れられない。

今夜はもう一枚、TARO'S MOOD を聴いて締めとしよう。

Live At Le Chapiteau Toots Thieleman

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久しぶりに腹の底から揺さぶられる演奏を眼にした。

つまらないジャズ評論家の文章で穢れた目を洗い流してくれる最高の映像があった。

 Toots Thieleman Live At Le Chapiteau 

いっきに最後まで、
アンコール前のスタンディングオベーション、

貴方だって、貴女だって一緒に立ち上がって涙とともに拍手を惜しまないであろう。


見せ掛けの進歩、発展に気をとられる評論家はこういった演奏を聴くのは辞めたほうが良い。
滅びるのはジャズ評論家の推奨する類の演奏であり、後世に残るのは素人が感激して聴いた演奏なのだ。

我々素人が聴かなきゃ、いったいだれが聴く、誰のためにミュージシャンは演奏する?

ジャズ評論家のために演奏する人はいないだろう。

今日はBallantine's 17 years をロックで飲みながら。

新年早々、「現代ジャズ解体新書」なるつまらない本に眼を通してしまった。

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中山何某などの書いたものを読むと、jazzなんてものは見たくも聴きたくも無くなる。

感ずることもなく、どう語るか、それしかない。語ることによって己をひけらかす。
swing journal は日本におけるジャズに間違った寄与しかしていない。
歴代の編集長はおかしなジャズの捉え方を素人に強制し、ゴールドディスクと称して売らんかなのやからと結託してつまらないアルバムにシールを貼りまくった。

あの雑誌がつぶれたのも無碍なるかな。当然のことだ。

電化マイルス、ウィントン、そのほか流行を追いかける連中しか見えないのだろうね、ジャズの歴史、未来、方向といいながら。

音楽は評論化が飯の種にするためにあるのではない。聴くことによって何者かを得ようとするもののためにあり、もちろん演奏することによって金以外のものを得ようとするもののためにある。

でもね、うちのぼけた母親なんて、ぼける前だけど、Hank Jones がピアノを弾いているのを見て、「黒人のくせしてぴあの弾く時間があるもんだ、」なんていっていたからなあ。
ジャズなんてのは日本の片田舎の人間にとってはせいぜいそんなもの。でも、クラシックコンプレックスの小曽根の演奏を聴いて帰ってきたときは感激していやがった。

ジャズは個人的体験以上のものでは無いようだ。